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REGGAWS Kicks Friday (レガウス キックス フライデー)

OTHER 2020.05.08 REGGAWS

NIKE(ナイキ)とは -創業編-


REGGAWS スタッフ が足元を彩るスニーカーを紹介するコーナー 【 Kicks Friday(キックスフライデー)】

ファッション分野におけるマーケットプレイス兼データプラットフォーム『Lyst』が、四半期に一度のブランドの人気バロメーター“最もホットなブランド”2020年第1四半期版を発表しました。

1位のOFF-WHITE(オフホワイト)、2位の BALENCIAGA(バレンシアガ)に続き3位に輝いたのが NIKE(ナイキ)です。今回は名だたるビッグメゾンの中で上位にランクインするまでとなったブランドの歴史について紹介します。

■創業

創業者の Phill Knight(フィル・ナイト)が神戸に出向いた際にオニツカタイガー(現アシックス)の品質と低価格を気に入り 1962年にオニツカタイガーのアメリカ販売権を取得したのが始まりです。

1964年に オレゴン大学の陸上コーチであった Bill Bowerman(ビル・バウワーマン) と共同でナイキの前身である ブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立し、日本からオニツカタイガーのランニングシューズを輸入しアメリカ国内で販売し始めました。

1971年にはオニツカタイガーとの提携が終了し、同年にナイキの象徴である”スウッシュ”がデザインされた最初のシューズが発売されました。スウッシュがギリシャ神話の勝利の女神である “NIKE(ニケ)”が 翼を広げたデザインに見えなくもないことから、社員の助言でシューズのブランド名をナイキとし、会社名も同様ナイキに変更されました。

ポートランド州立大学でグラフィックデザインを専攻していた女子学生の Carolyn Davidson(キャロライン・デビッドソン) が「勢いよく動く」という意味で作ったデザインのスウッシュです。 その形状は躍動感やスピード感を表現しています。
印刷の都合で急いでロゴを決める必要があったため「今はこれが最良のデザインとは思わないが、時間がたてば馴染むに違いない」と妥協の末に決定したデザインでしたが今では誰でもわかるアイコンになって世界中で目にします。

■オニツカタイガーとの関係性

1964年にオニツカタイガーの販売を始めてからBRS社は次第に オニツカタイガー の製品開発にも関与するようになって、バウワーマンのアイデアによってオニツカは1968年に”タイガー コルテッツ”をデザインします。これがBRS社の看板商品となりました。

しかし、一見関係性は良好かと思われましたが たび重なる オニツカタイガー の輸送や発注トラブルに不満を抱きBRS社は日本の総合商社である日商岩井(現・双日)の融資を得たこともあり、自社でシューズを生産することに決定し、オニツカタイガーとの提携を終了しました。

タイガー コルテッツ(写真左)とナイキ コルテッツ(写真右)
現在ナイキの看板となっているナイキコルテッツにはとあるエピソードがありまして、 提携終了後も バウワーマンの名付けた「コルテッツ」の名称を オニツカタイガーが使用していたため裁判を起こすこととなりました。 ナイキは オニツカタイガー から「コルテッツ」の使用権を獲得しました。タイガー コルテッツは”タイガー コルセア”(現”アシックス コルセア”)に名称が変更されたというエピソードがあります。



まだまだ書き足りないですが今回はナイキの創業についてお届けいたしました。
それではまた来週!



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